宮城県仙台第一高等学校、学習院大学 法学部卒業。
弁護士を目指し法律学の習得に精力を注いでいた
大学生21才から、中村天風先生が創設した天風会で
心身統一法を学ぶ。
その後天風先生からのご信頼の厚い心身統一合氣道会の
創始者藤平光一先生に巡り合う。
以後藤平光一先生に師事し心身統一合氣道をお伝えする
ことを通して世の中に貢献する道を志す。
入門して直ぐに専門家養成を目的とした
心身統一合氣道学院、東京氣圧療法学院(現・
氣の健康学院)に入学し、卒業と同時に
東京氣の健康学院の講師を拝命。
講師として7年間勤め教学部主任を歴任。
心身統一合氣道 七段、心身統一合氣道会 元本部師範
平成19年度〜平成27年度 全日本心身統一合氣道
競技大会 主審判員、体技審判員
多感な仙台一高時代には後に最高裁判所判事や
相馬市長、医師、弁護士、大学教授、公認会計士、
一部上場企業取締役となり各界で活躍する沢山の
同級生から多くの刺激を受け、今なおお互いを励みと
している。
バスケットボール部に所属、高校総体で宮城県大会2度
の優勝。インターハイ全国大会に出場しベスト4進出に
貢献。宮城県バスケットボール躍進の礎となる。
大学時代はクラブチーム選手権東京都代表となり再び
全国大会に出場。国体予選東京都ベスト8。
また学習院女子高等学校の部活動をコーチとして指導。
生徒は直ぐに東京都ベスト16から常に上位を臨む
チームに成長。
大学時代に日墺国際スキー協会のプロスキー教師
として、オーストリアのスキー界トッププロ指導者
フランツ・ラウター氏の直接指導を受けた経験を持つ。
<ポリシー>
私には恩人が何人もいます。その方達の一人が欠けても
今の自分は存在しません。
心の底からそう思っています。
ですから私も真剣に皆さんの人生のお役に立ちたいと
願っています。
皆さんの成長に貢献する上で私が最も重要と考える
ことは何かというと、
「真実を伝える」ということです。
私は皆さんよりも沢山経験を積んでいますので、
その経験をお伝えするだけでも喜んで頂けると
思いますが、それでは全く不十分なのです。
「何故そうなのか」をこの世界の真実(本質 仕組み)から
お伝え出来てこそ本当の指導だと思うからです。
私がそう考えるに至った経緯をお話しますね。
私は高校で素晴らしいバスケットボールの指導者に
めぐり逢いました。
部のOBでしたが、
真摯にバスケットボールに向き合い、プレーヤーに
向き合っていました。(後に教員になられました)
そのコーチの真剣な学び方、伝え方に魅了されて
夢中になって取り組みました。
教えてもらったワンプレー、ワンプレーを常に自分の
限界に挑みながら磨いて行きました。それが日々練習
することの「意味」だと指導されました。
お陰でインターハイ全国大会に出場して当時歴代宮城県
最高の4位になりました。
大学に進学し体育の授業で馴染んだバスケットボール
を専攻しました。
そこで出逢った教授から突然
「お前のプレーは間違いなく一流で本物だな!」
「どこで鍛えてもらった?高校か?」
と問われました。
「いい指導者に巡り会えたな!」
本当に驚きました。何故かというと
その笠原成元教授は前オリンピック日本代表監督
だったからです。
田舎のどこのチームで学ぼうが、名も無き指導者が
教えようが、
伝えていることが真実であり、身に付いていることが
本物であればバスケットボール界トップの人間でも
認めてくれる。
そんな普遍性(どこでも通じる説得力)がある。
本物は強い!
真実には普遍性があるということを経験したのです。
その教授が講義してくれた『コーチ学』の最初の開口一番で
言ったことは
「本当に良い指導者とは自分の経験だけで教える人間
ではだめだ。
何故そうなのかあらゆる学問から学び取って
伝えられなくてはいけない。」
というものでした。
本当にその通りだなと感動して授業を聴きました。
この時、高校でどんなに貴重な指導をして貰って
来たのか本当のことが分かりました。
そのことに心から感謝し、自分もそうありたいと心の
底から思うようになりました。
そんな私が出逢った本物の指導者が恩師 藤平光一先生
なのです。
藤平光一先生は
「合氣道の世界の中だけで正しいといくら主張していて
も、井の中の蛙にすぎない。」
「あらゆる世界で正しいと通用するものでなければ
本当に正しいとは言えない。」
と常に語られていました。
「普遍性と再現性」
「誰もがYesと言ってNoと言わないこと」
だけが正しいとも表現されていました。
一人よがりにならず、常に正しさに対して謙虚に、
実践検証して行く姿勢。
まさに真実を求める姿勢です。
藤平光一先生が伝えて来られた真実=天地の理
(仕組み)は当然のことながらスポーツ、芸道、
教育等の世界が求める自己実現に見事に応える
ことが出来ました。
その結果賛同される方々が多分野に亘って増えて
いきました。
正しさに備わっている普遍性をまざまざと示していると
本当に思います。
これで私が真実(仕組み)をお伝えすることを大切
に考える理由がお分かり頂けましたね!
私は藤平光一先生の最晩年の21年間に、最も多くの
時間を費やして頂き、直にご指導を賜った数少ない弟子
の一人です。
毎週月曜日には栃木に通って教えを乞うていましたし、
毎月2〜3回ある栃木本部道場の講習会、毎月1回ある
東京本部道場の早朝稽古でも仙台から通って毎回ご指導
を受けていました。
もちろん、そうしたかったからしただけです。
私は
「本物が如何に重要か」、
「真実が如何に普遍性を持った価値なのか」
を人生を通して実感して来た人間でしたので
真実を知りたい氣持ちに突き動かされました。
会得の貴重な機会を逃さない為に教室運営を専業に
しました。
暫くはアルバイトを兼業しながらの教室運営です。
それでも私にとっては目の前にある真実に出会う
ことが大切でした。
しかし残念ながら同行の士は誰一人いませんでした。
門戸は開かれていたのに本当にもったいないこと
でした。
ですから
私には先生からのご指導を丁寧にお伝えする中で、
先生が何を感じておられ、
何を掴んで欲しかったのかを
皆さんに実感して頂く使命があると思っています。
先生が発したお言葉の背景には
「見ておられる世界(天地)」
「捉えられておられる実感」
がお言葉以前にあります。
未熟な私たちに向けて分かる範囲で言葉を選ばれて
説明されているのです。
先生が言葉にされていない
ご実感やご覧になっている世界(天地)
は想像する他方法がありません。
しかしながら真実は先生が捉えられていた
世界の中にあります。
その為に心身統一合氣道を伝えて下さったのです。
一瞬たりとも真実から目を逸らすことは 出来ません。
「本当はどんな実感を持てるようになって
欲しかったのか?」
「どんな世界と向き合えるようになって
欲しかったのか?」
私にとってお側にいた時間だけが全ての手がかりです。
直にご指導、ご指摘を受けたこと一つ一つから真意を
理解するチャンスを得ています。
本当に貴重なお時間を頂戴しました。
直弟子である私は、これだけ価値のある教えを預かる者
として大きな責任も感じています。
≪私が心身統一合氣道をお伝えする理由は?≫
どこの国、どんな時代においても人間こそが社会の財産
です。
私達が心身統一合氣道をお伝えする目的は第一義的に
『人を育てること』にあります。
私は『人を育てること』を使命と定めてこの道を歩んで
参りました。
藤平光一先生が私に望んでいたことでもあります。
というのも、藤平光一先生がお茶を教えていたら、
間違いなく私は茶道を先生から学んでいたに違いない
からです。
それは先生もご存知でした。
私は先生から武道ではなく先生の持つ人間力を学び取り
たかったのです。
「人はそもそもどんな存在なのか?」
「人が本来与えられた力」を教えて頂きたかったし
「本来の力をどうやったら発揮出来るのか」を学びた
かった。
「福田君、熱心に稽古している様だね。聞いているよ。
だが、いくら人を何人も投げられたとしても幸せな人生
になれる保証は何処にもないだろう!」
藤平光一先生はそうおっしゃって、何をお伝えすべきなのか
をいつも諭して下さいました。
私が藤平光一先生に巡り会えたということには
「本当に意味があってのこと」と思っています。
バスケットボール、スキー、天風会
そして心身統一合氣道へ、その経験には意味があり
本物へ本物へと導かれ、真実を積み重ねて来れました。
必ずや天地に導かれてのことだと思います。
そして私は今ここに立っています!
私と同様、皆さんにもチャンスが待っています。
子供たちも大人もお一人お一人誰もが本当に
無限の可能性を持っています。
それは同時に成長する為の課題を持って今現在を生きて
いるということでもあります。
特に子供達は人生体験も少なく成長の途上に
あるのですから、足りない面が多く目に付くのは
当たり前のことです。
人は体験を通して気付きを得、気付きから成長への
足がかりを得て飛躍への一歩を踏み出すものです。
目の前の課題の一つ一つと真剣に向き合い、格闘し、
解決して乗り越えていくこと。
それがまさに成長ということだと思います。
ですから、
私達大人にはこの様な可能性に満ちた
子供達を見守り育てる責任があります。
子供達の気付きを大切に思い、一緒に共感し、
支えてあげることで私達大人は子供達に未来を託す
のだと思います。
きっとそんなお子さんたちはこれから先も多くの
いい出会いに巡り会えることでしょう。
これからも、いい人との出会いに希望を持ち、自分の
可能性にも自信を持てる。
『自立した人生』への土台を培って頂きたいと願っています。
本質的に大人も何も変わりはありません。
私達は身の周りの出来事を他人や社会のせいにして、
知らず知らず受け身になりがちです。
でも、もっと主体的に、すべてを自分自身で律して
いける人間に成長することは可能です。
言葉を替えると、
天地に見守られた自分は、
身の周りに生じる出来事すべてを、
どんどん自分自身の成長の糧にする積極的な生き方を
掴むことが出来るということです。
つまりは『自立する』ということです。
その土台になるのが私達一人一人に与えられた能力や
個性です。
その本来天地から与えられ、支えられたものが
いかに偉大かに気付けるのが
心身統一合氣道の稽古なのです。
その自覚がとても大切です。
与えられた本来の能力や個性をしっかりと土台に
してこそ
その人らしい自信もそれぞれに備わります。
与えられた本来の能力や個性をしっかりと土台に
してこそ自分らしい自信も備わります。
それには先ず、自分自身の心と身体(姿勢)を仕組みに
沿ってコントロール出来ること。
その時人は磐石な状態で能力を発揮できます。
その上で、「相手を尊重する心」が備わると
相手と一緒に行動することも相手を導くことも出来る
のです。
一点の曇りもない、「相手への敬意(思いやり)」が
養われ、
「迷いのないリーダーシップ」が発揮されると
相手も逆らうことなく、自然に一緒に行動出来るように
なるのです。
これは生き方、思想である前に私たちの命の生かし方、
私たちの命の仕組みです。
その真実こそが心身統一合氣道の本質であり、
同時に人と人との関わりの土台となるものです。
人と人との信頼関係も縁を大切にした生き方はここから
始まります。
つまり心身統一合氣道は命の本質に沿って自分自身の
人間性を磨く道なのです。
命の仕組みを理解し尊重することが『自立への道』です。
人を相手にせず天地を相手にすれば一瞬心が揺れても
収まり所があります。
天地の仕組みに沿ってご自身を生かし、持てる個性
を発揮して下さい。
その成長の過程を稽古を通して実感出来る場が教室です。
心身統一合氣道を通してあなたに掴んで頂きたいのは、
相手を投げる技術ではなく、
あなた自身が本来お持ちになっている
人間性そのものの力です。
私達は素晴しい価値高い命を幸運にも両親、大自然から
与えられました。
その事実にふさわしく、
自分自身の可能性を信じて将来に希望と目標を持ち、
社会の発展を信じてこれに寄与出来る人間に日々成長
することこそ、
与えられた価値高い命を全うする真の道
だと思います。
私達は専門家の集まりです。
ご縁で結ばれた皆様お一人お一人のお役に立てる為に、
これからも常に研鑽努力して参ります。
ご一緒に学んで参りましょう。
【我が師、心身統一合氣道会の創始者藤平光一先生に
ついて】
藤平光一先生は合氣道の開祖植芝盛平先生の下で
師範部長というトップの要職を開祖の最晩年30年近く担われ
ました。
その間合氣道界に最も貢献し、開祖からは
「合気道の申し子!」と賛辞され
十段位授与の祝賀会が盛大に催されました。
また現在の海外での合氣道の普及は、藤平光一先生が
昭和28年に戦後間もなく単身で渡米して、以来長年
渡航を重ねてその礎を築いたものです。
敗戦国からの来訪者に対して容赦のない手荒な挑戦を
受けられる日々だったそうです。
海外で体格の全く違う多くの力自慢を相手にされて来た
経験から、少しでも力に頼っていると全く通用しない
ことを最も身を以て体感されています。
その意味で、開祖が身をもって示された全く力に
頼らない合氣道を、最も理解出来て、やって見せれる
方でもあります。
開祖植芝盛平先生が逝去された後も開祖のご遺志を
守られて三年間要職を担い続けられました。
また藤平光一先生は中村天風先生の下で師の説く
心身統一法を最も深く理解し、徹底して実践された
ことで大変信頼されました。そして後継者として
最も望まれた方でもあります。
天風先生から『心が身体を動かす』ことを説かれ、
「そうか!」と氣付かれた後、藤平光一先生の合氣道は
一氣に開花したのでした。
そして心身統一合氣道会を創設されてからは、
合氣道界に留まらず、プロ野球をはじめとする
スポーツ界、能、歌舞伎、音楽、華道、書道、絵画等
の世界にまで多くの会員、賛同者を得られました。
藤平光一先生の根底にあって揺るぎのない「天地の理」
に対する確信は、先の大戦で中国大陸を舞台に80人の
部下を引き連れて、1人も欠けることなく日本に
戻られた奇跡としか言いようのない事実が物語って
います。
戦時下においては部下に一切の略奪行為等を許さず、
かえって治安が良くなり地元住民からも敬意を
払われた24歳の小隊長でした。
敗戦後も部隊の統率が乱れることがなかったので、
無事に全員で帰還出来たのです。
【中村天風先生について】
中村天風先生は旧柳川藩主の血縁として誕生し、青年期
は頭山満氏の薦めで軍事探偵として 中国大陸を活躍の
舞台としておられました。
長年のあまりに過酷な軍事探偵としての生活から
進行性の結核を患い、それを期に日本から密出国して
渡米。コロンビア大学で医学博士となり、更にドイツで
哲学を学ばれました。
勇猛果敢であったご自身が喀血に日々に怯えるという
変貌ぶりに不可解さと悔しさを抱きつつも、死期を
覚って日本へ帰国する途上、偶然同船していたのが
ヨガの大聖者カリアッパ師でした。
師に促され、同行して辿り着いたのがインドのヒマラヤ
の麓。
その地で外国人として唯一人修行を許された方です。
滝の側で瞑想を続けて3年の後、悟りを得られ下山を
許されました。
現地では今でも「中村三郎」(本名)の名は語り継がれ
ています。
日本への帰途、中国の辛亥革命に最高軍事顧問として
関わり、孫文氏が日本に亡命する折に帰国。
その後、銀行を経営されました。
この様な波乱の人生を歩まれた末に事業の全てを手放さ
れ、ヒマラヤの麓で自ら悟得した
心身統一法を広く世に説く道につかれました。
そして昭和の初期から中期にかけて驚く程多くの皇室、
政財界、科学者、思想家の方々に強い影響を与え
「哲人」と称されました。
終戦直後の一時期にはGHQを通じて米軍将校にも
その名を知られた逸材です。