氣のクラスの紹介
心こそ 心迷わす心なれ
心に心 心許すな

さらさらと 滞らぬが仏なり
善しも悪しきも 凝るは鬼なり

心身を統一して本来の能力が100%発揮出来ていることが
「氣が出ている」状態です。


心に迷いが無く、存分に力を発揮出来たこと。
過去を振り返れば誰にでも経験があります。

「氣」は特別なものではなく誰にでも何時でも
使えるものなのです。


氣のクラスでは何時でも安定して使えるように
体系的に訓練して参ります。

≪心と身体を生命の本質から正しく捉える≫

心と身体は共に生命を活かす道具として
天地、大自然から与えられたものです。

これを正しく使い、活かし切って生きることが
与えられた生命に感謝して命を大切にするということ
だと思います。

自分の好むように好き勝手に生きる、
あるいはどう努力して行けばいいか迷い、
自分の限界を感じながら
生きているというのが
我々現代人の一般的な姿です。

しかしそれでは、
「氷山の一角」の力しか発揮出来ません。

大変もったいない生き方です。

まず心と身体は同時に与えられたものですから、
これを一緒に使うのが自然であり正しいといえます。

このシンプルかつ厳然と存在する自然法則に沿って
心と身体を生かして初めて本来の力が発揮されるのです。

これを「心身一如」といいます。


これは物事に「心を向けて」、「心を込めて」行なう
ということと同じことです。
箸の上げ下げから始まり、日常の小さなことから
習慣付けて、このことを大切にしていたのが、
古来我が国の伝統でした。

そして心は色もなく匂いもなく形もなく、
身体とはまったく性質が異なります。
それぞれの使い方を考えるとき、

心には正しい「心の法則」、
身体には正しい「身体の法則」に沿って


正しく生かすように訓練することが大切です。

その上で二つの間には
『心身一如』『心が身体を動かす』という大原則
が働いています。


心がプラスであれば身体もプラスとなり
生命全体がプラスに輝き

100%の能力を発揮出来るのです。

心と身体は表裏一体で、その境を捉えることは
出来ません。
一つのものだからです(心身一如)。

これは宗教、思想、精神論とは切り離して、
生命の本質そのものから理解すべきことです。
だからこそ誰でも何時でも何処でもこの理(仕組み)
を生かすことが出来るのです。


≪身体の法則ー正しい姿勢≫
「姿勢を正す」というと背筋を伸ばし胸を張る姿勢
を考えがちですが、
無理な姿勢では長続きしません。
不安定なため直ぐに疲れてしまいます。

正しい自然な姿勢には自然な安定が備わります。
楽で長く姿勢を保て当然健康にも良く快適です。
天地との繋がりの最適な状態です。

またこの姿勢からは瞬時に動き出すことが出来ます。
何時でも物事に対処出来る状態ですから、
チャンスに本来の能力を100%発揮出来ます。

「静中の動」(無限小に収束して止まっていない状態です)
が働いています。

会得の仕方はとても簡単ですから誰でも直ぐに
身に付けられます。

≪身体の法則ーリラックス≫
リラックスすることは
スポーツのトップアスリートに限らず、
普段の能力をいつも通り発揮するためにも
極めて大切だということは、多くの人が
知っています。


しかし会得が難しいとされています。
それは実はリラックスと虚脱状態(脱力)とを混同し
その違いをはっきり区別出来ていないからです。

力はどこまでも抜けるだけ抜いていいのですが、
正しい姿勢を知らないと直ぐに虚脱状態に陥って
しまうのがその大きな原因です。

一度真のリラックスを会得すると気持ちがいい位、
その瞬間に心(無意識)で描いた通りに動けるよう
なります。
「我一人舞えば 天地舞う!」

「全ての動作は天地の果てから天地の果てへ!
無限小から始まり無限小の収束へ(静止)!
切れ目なく連続していく!」

氣持ちよく伸び伸び動けます。

「天地の舞い舞台で舞う!」

と称される動きになります。


動きの中でリラックスを会得するのに最適なのが
「ワンネスリズム氣の健康体操」です。
「動中の静」(無限小の収束が次の無限小の始まりへ
と連続していく働き)

天地、大自然との一体感を味わいながら
氣持ち良く行なうのがコツです。

≪心の法則ー落ち着き(心が鎮まっていること)
・氣の呼吸法。メディテーション≫

「氣が出ている人」というと眼光の鋭い人
を思い浮かべがちですが、
目は心の窓です。
少しでも感情が高ぶっている状態では、
本当は氣は出ていないのです。

眼光の鋭い状態はどうですか?

心が静まっているときこそ氣は出ているのです。
「慈眼温容」が氣の出た姿です。


心が静まっていると物事をありのままに
捉えること(感じ取ること)が 出来ます。
天地との繋がりが最適ですから、
細やかに外界のすべてが伝わります。

なので常に正しい判断ができます。

そして一氣にすべての力を出し切るパワーも
同時に備わった(準備できた)状態
です。
「静中の動」(無限小に収束して止まっていません。)といいます。

藤平光一先生の穏やかな表情から一閃転じ、
繰り出された合氣道の技には
本当に驚きました。(怖かったです!)

「氣の呼吸法」は正しい姿勢でリラックスし、
楽に氣持ち良く行ないます。

氣がつくと自分の身体の存在を忘れ
天地、大自然と一体となり
心は穏やかにどこまでも静まっていきます
(無限小に、外界を細やかに感じ取れる状態)。

大切な氣の修行です。

「天地と一体となることが修行の眼目」です。
この細やかな感覚で「天地と人との関係」
「人と人との関係」を実感で捉えていきます。


私たちはすべてを捉えられる素晴らしい感性を
天地から与えられた命なのです。



当然ながら健康にも大変優れた効果があります。
毛細血管の隅々まで酸素が行きわたります。
癌細胞さえも酸素が行きわたると消滅します。


≪心の法則ープラスの心≫
「氣が出ている」と一言いうだけで氣は出ます。
生きている限り氣が出ているのが当たり前だからです。

「氣が通っている」という捉え方もします。

私達は天地、大自然から生まれ、守られ生かされて
生きています。
ですから天地と交流しているのが当たり前なのです。*
*生物学的には私たちの全細胞は「分子レベルで外から
入り排泄し、常に入れ替わっている」と言われます
(動的平衡)。


「氣が出ている」は出せば入る天地との交流を
意味しています。

盛んに発して交流している状態が元氣がいい
という訳です。

ところが私達はとかく自分から
「出来ない」、「ダメだ」、「ストレスがたまる」と
氣を引っ込めてしまっているのです。


では「出来る!」「これでいいんだ!」と
自分に言い聞かせればいいのでしょうか!?


これを「プラス思考」と言います。

中村天風先生はプラス思考の提唱者です。
私も若い時期に熱心に長年実践していました。

分かったことは心を完全にコントロールすることは
出来ないことです。
いくら自分に言い聞かせても思い込んでも
プラスにはなりません。
【*量子物理学論的にはこの世の全ては
確率的に成り立っていて
完全にコントロール出来るものはない
と言われています。】

そんなとき程「発すればいい!」のです。
出すから入り交流する仕組みなのですから。
内に(「出来る!」)ではなく外に、
天地と繋がり、発し続けると
勝手に、心は前向きになってきます

これが本当だと思います。

言わば「絶対的プラス思考」です。*

フランクルは著書「夜と霧」の中で、
ユダヤ人強制収容所から見た
息をのむ素晴らしい夕陽に皆で感動の声を
あげた話が書かれています。

終戦直前に南十字星の輝きに心を救われた
元軍医将校の方のお話も伺いました。

ペットを愛でることも外に向かって発して
います。

氣を出して常に前向きに物事を捉えられるには
天地との繋がりに「自信」を持つことが肝心です。


これを自分を信じることが「自信」だと考えると、
過信に陥ります。
ちょっとつまずくと直ぐあえなく崩れ去ってしまうものです。
以前、私自身が何度も経験したことです。

本当の自信とは
『自分が天地、大自然と通じていること』を確信する
ことなのです。

天地、大自然に生かされ、育てられ、守られている
ことを信じることなのです。
生命の淵源をたどれば当然のことです。

ここに「ブレのない」心の強さの土台が養われていきます。

天地と繋がっていさえすれば、
あとは「天地にまかせて放っておけばいい!」だけ。

眺めていればいいだけです。
その結果を見て、
この仕組みの事実に確信を深めて行くことです。

人ではなく天地を相手にする、「自立の学び」です。*

*藤平光一先生は
戦地では座禅で捉えた「死生観」は
全く役に立たず、
「天地に任せ切る」を毎朝実践されました。

銃弾があらゆるものに当たって全方向から
向かって来る中で「心をプラスに」持てるはず
ありませんね。

部下を統率して戦地で一切の略奪行為等をさせず
地元の治安が良くなったと住民に歓待されました。

敗戦後の敵地でも数ヶ月に亘って隊の統率が保たれ
小隊長として無事80人の部下全員を率いて日本に
帰還されました。

今の私たちに置き換えても全く同じこと
なのです。

天地に生かされている自分を確信して
「天地と繋がり、天地に任せ切る」ことが
ブレない心の土台なのです。
囚われから解放された自由な心を実感して
下さい。
心が自由に使えます。


これらの一つ一つを知識としてではなく、
体験を通して丁寧に分かりやすく学んでいきます。


元々正しいことというのは
当然で当たり前のことで
特別なことは何もありません。

ですから、誰にでも直ぐに会得出来るものなのです。
楽しく一緒に学んでまいりましょう。